media arts lab + SCU

制作主体

震災の半当事者による被災地との関わりとその記録 東日本大震災から11年の陸前高田と私の日々を紡ぐ

研究制作の概要

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から、もうすぐ12年目を迎えようとしています。
 そんな今、全国的に震災の教訓や記憶の風化が進んでいることが、大きな問題として挙げられています。同時に、私は、震災によって深刻な被害を受けた土地・人々に対するマイナス的なイメージが、今もこの先も持たれ続けられることへの違和感をとても強く感じました。

 そこで本研究制作では、「岩手県出身だが、震災にあまり向き合ってこれなかったわたし」が、“半当事者”という中立的な立場で被災地と呼ばれる場所へ出向き、そこでの滞在の記録と、自身の体験をもとにした作品を制作をしようと考えました。

 そして完成したのは、津波で深刻な被害を受けた岩手県「陸前高田市」で私が過ごした、記録や経験をもとに制作したインスタレーション作品です。

 この作品を通し、少しでも震災を思い出したり、陸前高田について知ってもらうきっかけになったり、私のように震災に対してモヤモヤする気持ちを抱えている人の、”心の拠り所”になれば良いと考えています。

  • 研究制作のきっかけ

陸前高田での滞在について

 陸前高田の人とつながりを持つために、初めに取り組んだのが「高田民泊」でした。高田民泊とは、一般の家庭に宿泊させていただき、その家庭の一員となって、陸前高田で暮らすことの体験をするというものです。

 そこで私は、2泊3日の陸前高田での暮らしを体験しました。高田民泊でおうちに宿泊させて頂いた“熊谷さん”をきっかけに、陸前高田で生きているたくさんの人々と繋がっていくことができました。8月から始まった高田での滞在活動は、行ったりきたりを繰り返しながら、10月まで取り組みを続けました。

 最終的に、陸前高田の人々と家族のように親しい関係を築くことができ、私にとって陸前高田は第二の故郷となりました。

これらは、以下のツールを用いて記録を行いました。
【記録手段】
・フィルムカメラ(フィルム写真用)
・ミラーレス一眼(映像+写真用)

映像作品について

 インスタレーション作品とは別に、陸前高田での滞在の様子や、私と陸前高田の人々の会話の様子、流れる空気感などを分かりやすくするために、映像の制作も行いました:)
以下の映像が制作した映像です。

陸前高田で生きるということ 〜私が高田で生きた記録〜

添付資料

メイン作品の概要 [作品名:Enter the manuscript paper]

 本作品は、筆者が小学5年の時に書いた作文を土台に制作を行なっています。当時の作文からは、当時小学5年生の筆者は、陸前高田での家族の思い出を津波によって奪われたために、「陸前高田=悲しいイメージ」を持っていることが読み取れます。

 実際に、本研究制作を行う以前の私は、まちに対して津波のマイナス的なイメージを持っていました。しかし、今回の陸前高田での滞在を通して、陸前高田の人々と関わりを持ち、深い関係を築いたことで、徐々に陸前高田へのイメージが、明るく前向きな方向へ変わっていきました。

このことから、「悲しいイメージ」が、時間をかけて「前向きなイメージ」へと塗り替えられていく様を、インスタレーション作品として表現することにしました。そして出来上がった作品が、以下になります。

添付資料

展示風景の記録